2013年2月26日火曜日

久留里城

昨日の式内社巡りの帰り道、「久留里城」に寄って来ました。



久留里の商店街には、お城をモチーフにした看板もあります。




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久留里城は、別名 雨城・霧降城とも呼ばれていた。「城成就して、三日に一度づつ雨降ること二十一度なりしかば」(『久留里記』)と書かれている。

歴史>戦国期の十六世紀中頃、西上総地方は真里谷(まりやつ)武田氏の勢力下にあり、久留里城もその一族の居城でした。天文年間(一五三二~五五)の後半になると、安房の里見義堯(よしたか)は上総に進出し、本拠地を久留里城に移します。
 永禄七年(一五六四)、下総の国府台(こうのだい)の戦いで、里見氏は北条氏に敗北、久留里城も一時、北条方の手に落ちています。しかし、二年後、里見氏は久留里城を奪還し、上総の大半と下総の一部を制圧します。その後、北条氏の勢力に押され、天正五年(一五七七)、里見義弘は北条氏と和睦します。義弘の死後、家督を継いだ里見義頼(よしより)は安房の岡本城を本拠とし、久留里城には城番が置かれています。






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天守閣まで駐車場から{ゼイゼイ}言いながらかなり登って行きました。模擬の天守ながら、なかなか味わいがあります。桜の季節にはいいでしょうね。


かなりの山城ですから、景色も抜群でした。




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鶴谷八幡宮

今日は、お休みを利用して、まだ行けていない「安房国式内社」を5社ほど参拝して来ました。





その前に、途中にある館山の「鶴谷(つるがや)八幡宮」にも寄りました。


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平安時代初期、国府近くの三芳村府中(現在の南房総市)に安房国総社として創建された。安房国一の宮安房神社をはじめ年に一度、国内諸社が参集して盛大な大祭がひらかれた総社としての格を誇っていたが、源頼朝が幕府を開いて諸国に守護・地頭を設置するようになって以降、国司の権勢は衰え、総社の崇敬も衰退していった。源氏は八幡大神を氏神として崇敬しており、遂には総社も八幡宮と改称され、鎮座地も鶴岡八幡宮に模したように海辺を望む現在地に移転したという。



境内には、安房神社遥拝殿があります。


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ご神紋は、「三つ巴」ではなく、「五七の桐」でした。


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本殿は「三間社流造」のようです。


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下立松原神社(白浜町)

さてここからが「式内社」巡りです。まずは館山を跡にして、南へ一直線。房総半島の一番南からスタートして北上して行きます。





下立松原神社です。この神社は論社が二社あります。まずは「白浜町」からです。ここには式内社「天神社」が合祀されていますので、一度に二社参拝できます。


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ご祭神は、天日鷲命(あめのひわしのみこと)です。安房国の古社は、阿波忌部氏の神様が祀られていることが多く、こちらも忌部氏の祖神をお祀りしています。また、天太玉命・天富命・伊弉諾命・伊弉册命も合わせて主祭神とし、阿八別彦命・須佐之男命を配祀するほか、近隣の神社の合祀により以下の18柱の神も祀っている。


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境内は、思った以上に広く、鳥居から拝殿までかなりあります。静かな佇まいの神社です。




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ご神紋は「五瓜に唐花」紋です。どうしてでしょうか?後ほど調べなければ。




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本殿は、庇を持つ神明造りのようです。




昭和初期に合祀された天神社(式内社)は、本社拝殿向かって右手に並んで作られていました。


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下立松原神社(千倉町)

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千倉にある「下立松原神社」です。正面に杉の大木が二本そびえ、その奥に社殿が見える。杉の木が「鳥居」の役目となっているようです。こちらのご祭神は、天日鷲命とともに、木花開耶姫命 月夜見命となっています。
拝殿がなく本殿は覆屋になっておりました。   P1000989a




境内を左へ歩くと、経塚や、頼朝公馬洗池跡がありました。






高家(たかべ)神社

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式内社「高家神社」は、「料理の祖神」を祀る神社として有名です。そのご祭神は、磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)です。
大彦命の孫と伝えられ、日本書紀によれば、景行天皇は皇子・日本武尊の歿後、その東征の縁の地を歴訪したが、安房国の浮島宮に行幸したとき、侍臣の磐鹿六雁命が堅魚と白蛤を漁り、膾に調理して天皇に献上した。
天皇はその料理の技を賞賛し、磐鹿六雁命に膳大伴部の姓を与え、その子孫の高橋氏は代々宮中の大膳職を継いだ。
磐鹿六雁命は宮中・大膳職の醤院で醸造・調味料の神「高倍神(たかべのかみ)」として祀られていたようです。

境内には「包丁塚」があります。

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拝殿は、非常に美しい茅葺屋根をもちます。


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神紋は「三つ巴」のようです。


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本殿は、神明造りのようです。もともと「神明社」だったようです。


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莫越山神社(なこしやま) (沓見)

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莫越山神社です。こちらも論社が二社あります。まずは、沓見の神社へ。


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ご神木のシイの木が見事です。


こちらのご祭神は、手置帆負命(たおきほおいのみこと)と 彦狹知命(ひこさしりのみこと)です。手置帆負命は、讃岐忌部氏の祖であり、彦狹知命は、紀伊忌部氏の祖です。太玉命の率いる五神の中の二柱。


(ちなみに、下立松原神社の祭神も五神の一柱である天日鷲命:阿波忌部の祖)




また、手置帆負命は「笠・矛の製作者」で、彦狹知命は「盾の製作者」と言われています。




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靖国鳥居の奥に神明造りの拝殿・本殿があります。


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ご神紋は、「五七の桐」紋でした。


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莫越山神社(なこしやま) (宮下)

もう一つの式内社論社 宮下にある莫越山神社です。



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鳥居の先にある境内の後方が<莫越山>です。


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鎮守の森といった感じの佇まいです。ご祭神は、同じく 手置帆負命 彦狹知命 です。莫越山山頂には奥宮があるそうです。




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本殿は、覆屋の中にあるのでしょう。確認できませんでした。


こちらの神紋は「五三の桐」のようです。




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覆屋後方に、見事なご神木がありました。


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2013年2月23日土曜日

平日ゴルフ

今日は、お休みが取れましたので「成田フェアフィールドゴルフクラブ」にて平日ゴルフを楽しみました。自己ベスト81を出したよく行くコースです。



12月に他部署に移動し8月に定年を迎える先輩N氏とのツーサムです。



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前半は、足首から下が寒さで麻痺。得意のパットが全く振るわず、48。パットからスコアを作っていくおじさんゴルファーとしては立て直しが効かなかった。後半は、パットが決まりだし何とか43。しかし、またも80台に届かず。ドライバーはかなり良くなっているので次回は期待したい。と自分を慰める。N氏は逆に前半42、後半47。彼にしては今ひとつか。新しいドライバー「タイトリスト913」ボールがうまく上がらないようだった。セッティングミスか。一度打たせてもらったが、ストレートで良い感じで飛んでくれるようだが・・・。買わないぞ!!


今は<ロケットボールズ>を何とかものにすることを優先したい。




しかしこのところのアイアンは酷い。練習せねば。


2013年2月22日金曜日

風の王国6

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平谷美樹著、文庫連載中「風の王国6」読破。



[E:book]




渤海は滅亡し、契丹では皇帝・耶律阿保機が暗殺された。激動の中、契丹国皇后・月理朶は、弟の堯骨を皇帝にするために、突欲に東丹国の統治を命ずるのだった。一方、新たなる渤海国の復興のために、明秀は安東勇魚たちとともに、東日流軍を率いて契丹国に抵抗し続けていた。突欲と明秀は、それぞれの野望と覚悟を持って再び闘うことになるのだが・・・・・・。大好評の大長篇伝奇ロマンシリーズ第六弾!





5巻までが前編の渤海国の滅亡までを描く。所謂、国の滅びに至る物語。そして6巻からは国造りへの物語となるのか?全10巻の予定とのこと。今後の展開が大いに楽しみだ。




1-4巻 5巻 はこちらをクリックしてね。


2013年2月18日月曜日

麻倉ゴルフ倶楽部 2度目

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本日は、大学の先輩方と紹介で「麻倉ゴルフ倶楽部」にてプレーしました。


空いていてゆったりできます。コースも綺麗。


二度目の登板となったドライバー(テーラーメイド:ロケットボールズ)は前半絶好調。パットも決まり霜で硬いグリーンも攻略。スコアは43。しかし、後半になるとドライバーイップスがおなじみにのように顔を出します。その上、下手くその極みのバンカーに捕まりあえなく50。終わってみると93といつもの平凡なスコアでした。しかしドライバーはクラブを替えてからはかなり進歩している。この調子で、シーズンインを迎えたいものです。


2013年2月16日土曜日

陸奥甲冑記

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澤田ふじ子著「陸奥甲冑記」を読む。1981年に書かれた作品である。2000年に高橋克彦「火怨」を描き上げるが、その嚆矢となった作品だ。





[E:book]




桓武王朝期、統一国家への道を急ぐ天皇は、蝦夷征伐の勅を坂上田村麻呂に下した。部族の独立を守るために迎え撃つのは陸奥国の盟主・阿弖流為。知勇を尽くした長い戦いが始まったが、田村麻呂の慈悲深い同化政策の前に、戦いはしだいにその様相を変えてゆく…。歴史の闇に葬られた民に光をあてた長編小説。





「火怨」は阿弖流為に光を当てた作品であるが、こちらは坂上田村麻呂が何をなそうとしたのかを書きたかったみたいだが少し焦点がぼけている気がした。




男の有り様という点でやはり「火怨」に軍配か!






かの清水寺の開基には「坂上田村麻呂」が大きく関わっていると言われています。田村麻呂は、蝦夷鎮魂のために清水寺を創建したのでしょうか。


こんにち、清水寺の境内南苑に「阿弖流為・母禮之碑」があるようです。





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顕彰碑 <文面>




八世紀末頃、日高見国胆沢(岩手県水沢市地方)を本拠とした蝦夷の首領・阿弖流為(ア テルイ)は中央政府の数次に亘る侵略に対し数十年に及ぶ奮闘も空しく、遂に坂上田村麻呂の軍門に降り同胞の母礼(モレ)と共に京都に連行された。

田村麻呂は敵将ながらアテルイ、モレの武勇、人物を惜しみ政府に助命嘆願したが容れられず、アテルイ、モレ両雄は、八〇二年河内国で処刑された。

この史実に鑑み、田村麻呂開基の清水寺境内 にアテルイ、モレ顕彰碑を建立す。



2013年2月11日月曜日

Palestrina&Allegri

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本日は、itunesより「Palestrina: Missa Papae Marcelli, Missa Aeterna」 by Oxford camerata購入。



朝から聴いいてます。 

「教皇マルチェルスのミサ曲」は彼の代表作です。

2013年2月10日日曜日

映画「レ・ミゼラブル」

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次男坊「弘季」に観ておいでと言われ、映画「レ・ミゼラブル」遅ればせながら、かみさん(この人は2回目)と観て来ました。<家族の中で、私だけまだ観てなかったので>





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子役のニ人がとても可愛らしかったですね。







どれほどめまぐるしい時代の変遷の中にあっても変わらぬものがある。それは人間の良心であり、「愛」の力である。これが、この物語のテーマです。



そしてそれは、登場する人々の赦しによって体現され、物語が進んでゆくのです。


本作品は、歌によって物語を紡いでいくのですが、それを見事に表現できていたのではないでしょうか。




スーザン・ボイルでゆうめいになった曲「I Dreamed a Dream」。アン・ハサウェイの歌もすばらしかったです。





やあ、次男坊に言われて、観ておいて正解でした。満足、満足。




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2013年2月9日土曜日

小伝馬町 十思公園

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会社の近くにありながら、なかなか足を運べずにいたのですが、やっと行く機会に恵まれました。江戸時代を通し、維新後に廃止されるまで伝馬町牢屋敷が置かれていた、吉田松陰先生終焉之地として有名な「十思(じっし)公園」です。ここには、第一次近衛内閣文部大臣男爵荒木貞夫書による「吉田松陰終焉之地」の石碑があります。



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MY BLOGのタイトルである「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和魂
 十月念五日 二十一回猛士」
松陰先生の遺書「留魂録」の冒頭に記されている句の石碑が。感慨深いものがあります。





さて「二十一回猛士」は松陰先生の号です。



生家の姓「杉」の字を分解すると、「十、八、三」となるので足して「二十一」。また姓「吉田」を分解すると「十、一、口、十、口」となり、組み合わせると「二十一回」になるわけです。松陰先生が獄中で見た夢に神人が現れ、持っている札を見せると「二十一回猛士」と書いてありました。目覚てから考えると姓の謎解きで「二十一回」という数字が分かり、「猛士」は松陰の名が寅次郎ですから、「虎=猛獣」で「猛士」というわけです。頓知クイズのようですが、松陰は真面目に神人からの啓示と受けとめて、虚弱体質で気が弱い性格の自分を、「虎」の様に勇猛にならなければならないと決意したようです。自分は今まで三回猛を奮ったので、あと十八回猛を奮うつもりであると、兄梅太郎への手紙に書き送っています。



追撃の森

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すーさんお薦めのジェフリー・ディーヴァー著「追撃の森」を読む。



[E:book]


通報で森の別荘を訪れた女性保安官補ブリンを殺し屋の銃撃が襲った。逃げ場なし―現場で出会った女を連れ、ブリンは深い森を走る。時は深夜。無線なし。援軍も望めない。二人の女vs二人の殺し屋。暁の死線に向け、知力を駆使した戦いが始まる。襲撃、反撃、逆転、再逆転。天才作家が腕によりをかけて描く超緊迫サスペンス。

ストーリー展開、描写、どんでん返し どれをとっても一級品でした。オススメです。


2013年2月3日日曜日

武蔵国式内社論社 出雲乃伊波比神社(寄居)

本日は、関越道「本庄児玉」近くでゴルフ。いつものように早く出かけて神社参拝をして来ました。花園ICを降りて、寄居町(男衾郡)にある式内社論社を3社。そして本庄児玉付近の1社です。



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まずは、「出雲乃伊波比神社(寄居)」へ。ご祭神は、なぜか須佐之男命と三穗津姫命、天照大神、誉田別命、天児屋根命他とある。



出雲乃伊波比神社という名前のわりに伊波比主神(経津主神)が祀られていないのが不思議だ。









調べてみると、武蔵国造物部氏の氏神を祀る神社であったが、源頼義が奥州征討の戦勝祈願を行ったとされることから八幡社として崇敬されるようになり、明治三十三年に本来の名前に改称されたとある。武蔵国造物部氏の氏神を祀る神社であったのだから、やはり元は、出伊波比主神(経津主神)を祀っていいたのであろう。





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参道はまっすぐ北に伸びています。両脇を木立が囲んでいます。


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本殿は、一間社流造のようです。


神紋は「三つ巴」紋。



武蔵国式内社論社 小被神社(寄居)

次に小被(おぶすま)神社。先ほどの出雲伊波比神社の近くに鎮座しています。



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ご祭神は、邇邇藝命(ニニギ命)・木花佐久夜毘売命(コノハナサクヤ毘売命)・穂穂手見命(ホホデミ命)のようです。




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第27代安閑天皇の時に、土地の豪族富田鹿(とみたろく)が地主神である小被神を祀ったことにはじまるという。恐らくは男衾郡の部民を支配した壬生氏の祭祀する神社だったようです。森の奥に、小さな拝殿はありました。



武蔵国式内社論社 稲乃比売神社(寄居)

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稲乃比売神社です。ご祭神は、稲乃比売命・素盞嗚命・稲田姫命・大己貴命・少彦名命。靖国鳥居と、脇に自然石の大きな社号標、木々の茂った境内には社殿と末社のみが建っている、小規模な神社でした。


武蔵国式内社 ミカ神社

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ミカ神社と読むようです。那珂郡唯一の式内社です。ご祭神は、櫛御気野命(クシミケヌ命)・櫛ミカ玉命(クシミカタマ命)です。


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鳥居をくぐって左手(北)に拝殿・本殿はあります。


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那珂郡は上野国と深い交流にあり、神池である「摩河の池」を中心に古代祭祀が行われていたのでしょう。周辺には古墳群も多数あり、埴輪窯跡・竪穴住居跡なども発掘されています。当社の祭祀集団は神酒づくりにかかわる土器=ミカを製作した集団であったとされます。「ミカ」とは酒をかもすのに用いた大型の甕のことで、当社に御神宝とされていた土師器が保存されている。これが転じて当社は酒の神としても崇敬しているようです。




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本殿は、美しい流造でした。