2013年2月16日土曜日

陸奥甲冑記

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澤田ふじ子著「陸奥甲冑記」を読む。1981年に書かれた作品である。2000年に高橋克彦「火怨」を描き上げるが、その嚆矢となった作品だ。





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桓武王朝期、統一国家への道を急ぐ天皇は、蝦夷征伐の勅を坂上田村麻呂に下した。部族の独立を守るために迎え撃つのは陸奥国の盟主・阿弖流為。知勇を尽くした長い戦いが始まったが、田村麻呂の慈悲深い同化政策の前に、戦いはしだいにその様相を変えてゆく…。歴史の闇に葬られた民に光をあてた長編小説。





「火怨」は阿弖流為に光を当てた作品であるが、こちらは坂上田村麻呂が何をなそうとしたのかを書きたかったみたいだが少し焦点がぼけている気がした。




男の有り様という点でやはり「火怨」に軍配か!






かの清水寺の開基には「坂上田村麻呂」が大きく関わっていると言われています。田村麻呂は、蝦夷鎮魂のために清水寺を創建したのでしょうか。


こんにち、清水寺の境内南苑に「阿弖流為・母禮之碑」があるようです。





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顕彰碑 <文面>




八世紀末頃、日高見国胆沢(岩手県水沢市地方)を本拠とした蝦夷の首領・阿弖流為(ア テルイ)は中央政府の数次に亘る侵略に対し数十年に及ぶ奮闘も空しく、遂に坂上田村麻呂の軍門に降り同胞の母礼(モレ)と共に京都に連行された。

田村麻呂は敵将ながらアテルイ、モレの武勇、人物を惜しみ政府に助命嘆願したが容れられず、アテルイ、モレ両雄は、八〇二年河内国で処刑された。

この史実に鑑み、田村麻呂開基の清水寺境内 にアテルイ、モレ顕彰碑を建立す。



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