会社の近くにありながら、なかなか足を運べずにいたのですが、やっと行く機会に恵まれました。江戸時代を通し、維新後に廃止されるまで伝馬町牢屋敷が置かれていた、吉田松陰先生終焉之地として有名な「十思(じっし)公園」です。ここには、第一次近衛内閣文部大臣男爵荒木貞夫書による「吉田松陰終焉之地」の石碑があります。
MY BLOGのタイトルである「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和魂
十月念五日 二十一回猛士」
松陰先生の遺書「留魂録」の冒頭に記されている句の石碑が。感慨深いものがあります。
さて「二十一回猛士」は松陰先生の号です。
生家の姓「杉」の字を分解すると、「十、八、三」となるので足して「二十一」。また姓「吉田」を分解すると「十、一、口、十、口」となり、組み合わせると「二十一回」になるわけです。松陰先生が獄中で見た夢に神人が現れ、持っている札を見せると「二十一回猛士」と書いてありました。目覚てから考えると姓の謎解きで「二十一回」という数字が分かり、「猛士」は松陰の名が寅次郎ですから、「虎=猛獣」で「猛士」というわけです。頓知クイズのようですが、松陰は真面目に神人からの啓示と受けとめて、虚弱体質で気が弱い性格の自分を、「虎」の様に勇猛にならなければならないと決意したようです。自分は今まで三回猛を奮ったので、あと十八回猛を奮うつもりであると、兄梅太郎への手紙に書き送っています。
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