2006年12月25日月曜日

Wii 到着

10月末に次男:こうちゃんの誕生日プレゼントに予約した任天堂「Wii」が今日届いた。クリスマスに間に合った恰好だ。さっそくコントローラーを振り回し、先に購入していた「Wii sport」のボクシングゲームに夢中になっていた。しまいには、半袖で汗をかきながら奮闘。明日の朝には、サンタから新しい「ゲームソフト」が届いているであろう。サンタのプレゼントは何かな???



2006年12月18日月曜日

冬もアマデウス - モーツァルトを語る 第6弾

1756au3_1 第六弾は、弦楽四重奏曲 第19番 ハ長調 K.465「不協和音」。第三弾の「春」に続き、ハイドンセットからです。この曲の特徴は、題名にあるように「不協和音」から始まる。そしてそれは、2分あまりの序奏の(出だしの22小節の和音効果)だけである。低音のチェロに始まり、ビオラ、第2バイオリン、第1バイオリンと少しずつ遅れながら入ってゆくのだが、その音が、「ド」「嬰ソ(ソの半音上)」「変ミ(ミの半音下)」「ラ」となっており、「嬰ソ」と「ラ」は半音違いしかないわけで、調和していない濁った響きになる。連結すべき2個の和音の構成音のうちに半音階的関係を成す2音が含まれる場合には,それらの2音を同一声部で処理しなければならないという規則がある。(それに反することを「対斜」というが)この禁を破ったのだからたまらない。これがこの曲が「不協和音」と呼ばれる所以である。しかし、現代に生きる我々にはそれは、さほど奇異に感じない音なのだ。ロマン派・現代音楽を経て、こういう音があるとわかっているからだ。しかしモーツァルトの生きた18世紀では理解されなかったであろうと想像する。ハイドンに献呈された中にこれがあるのは、ハイドンならこの斬新さがわかってくれると思ったのではないだろうか。さて、その不協和音部分はおいといて、それに続くアレグロの主題の快活さはなんだろう。いつもの秩序を取り戻した響きに満ちた音のシャワー。陽の光が燦々と降り注ぐ大地にいるのような気分にさせてくれる。形も色も距離も極めて明確な音楽とはこのことか。それでは、k.465- 1.Adagio.mp3 (クリック)をお聴きください。 コメントお待ちしてます。



にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ ←もクリックして下さい。



2006年12月11日月曜日

孔子伝

Photo_3 漢学者である白川静氏が書いた「孔子伝」を読む。哲人孔子の実物大の姿を描いており、人間孔子の姿を見ることができた。儒から生まれた孔子の生き様がよくわかった。漢学者らしく、金文や甲骨文を解読し、文献から再現される当時の社会環境を背景として、孔子の出自と思想形成の過程を、推察しているのも興味深い。また論語の中のどの文章が生の孔子の発言であり、どの部分に後世の儒者による脚色が加わっているか、説得力のある解析が行われておもしろかった。





孔子はシャーマン(原儒)の出自であること。ほとんど政治的な活躍はできなかったこと。孔子の影(ダーク)ともいえるよく人相が似ていた陽虎というライバルがいたこと。放浪は、政治改革への参画をもくろみながら、好機を求めた孔子教団の長であったこと。など違った孔子像がそこにあり、画期的だ。孔子は理想を追ってそれを実現しようとするが、ことごとく失敗して挫折と放浪をを重ねる。孔子自身は、神秘主義者たることを欲しなかった人であった。そしてみずから光背を負うことを欲しなかった人であった。つねに弟子たちとともに行動し、弟子たちの目の前に自己の全てをさらけ出しながら、「これ丘なり」[論語・述而]というをはばからぬ人であったのだ。



第1章 東西南北の人(伝記について;聖人ののち ほか);第2章 儒の源流(伝統について;大儒と小儒 ほか);第3章 孔子の立場(体制について;群不逞の徒 ほか);第4章 儒教の批判者(批判について;ギルド的集団 ほか);第5章 『論語』について(文体論;儒家八流 ほか)



是非、ご一読を。



2006年12月4日月曜日

クリスマス・ヴァージョン

Xmas_07 この時期になると周りの家がクリスマス・イルミネーションに。年々派手になっていく家もある。わが家はいつもと変わらず。しょうがないので季節に合わせブログのテンプレートを「クリスマス・ヴァージョン」に変更してみた。少し読みにくいか?内容ともそぐわないか? 画像クリックしてネ。



2006年12月3日日曜日

説着曹操 曹操就到

説着曹操 曹操就到<シュオチャツァオツァオ、ツァオツァオチウタオ> 曹操の話をすれば曹操が来る。 中国では、「噂をすれば影」をこのように言う。たぶん、曹操は各地に諜者をはなち、情報収集に余念がなかったのだ。徳川家康が伊賀忍者を使って情報収集していたのと同じであろう。昔も今も情報を制するものは・・・である。さて我々が目にする曹操はどうしても悪役だ。劉備や孔明、関羽が圧倒的に人気が高い。日本では、三国志といえば、吉川英治や横山光輝の影響をほとんどの者がうけているからだろう。しかし理由はそれだけではない。曹操が悪役になったにはちゃんと他に理由がある。曹操は、孔子の子孫の孔融を一族もろとも処刑した事や儒教そのものをないがしろにしたからである。陳寿や裴松之も儒者であり、羅貫中も儒者。三国志演義は、当然にして儒教的プロパガンダの脚色がなされている。中国と儒教はやはり切っても切り離せない。その為に曹操は少し悪役でいてほしかったのではないだろうか。織田信長はよく曹操の生まれ変わりといわれるが、実は曹操のこの儒教価値観の破壊と信長の仏教価値観の破壊というものが新しい世を創造するのに必要なのだという考えが非常に似ていたからではないかと思う。それに供に人材の登用に余念がなった。こうして二人を比べてみるのも面白い。でもそんなことをしていると、説着曹操 曹操就到かも・・・・



2006年12月2日土曜日

すっかり冬~札幌イルミネーション

S_i_1 約2ヶ月ぶりに札幌へ出張に出かけました。気温は、-3~3度とすっかり寒く、雪も積もるほど、町は、イルミネーションがほどこされ白い雪にさえ幻想的な雰囲気。やっぱり、夏も冬も北海道はいいです。



2006年11月29日水曜日

墨攻

19334817 昨日、通勤の往復で、「墨攻:酒見賢一著」という本を読んだ。来年初、この本を題材に漫画化されたものが映画化される。この本は、中島敦記念賞を受賞している。中島敦は、かの「山月記」の作者だ。正直非常に短い本で、あっというまに読み終えた。墨とは入れ墨のことらしい。すなわち墨子は入れ墨の人という感じだ。宋の生まれといわれている。そういえば孔子も宋の生まれだ。ちなみに宋の国は、周が滅ぼした殷の一族の国である。墨子は、元々は大工だとも言われている。それが後の守城の武器造りに活かされる。墨子は孔子同様に学団をつくります。これを墨家集団といいます。墨家は二代目鉅子(指導者)禽滑釐の時に思想統一がなされました。この本は、それより後の話となります。さて非攻墨守という言葉がある。墨守とは、{墨子がよく城を守り通し、楚軍を退けたという故事から}昔からのしきたりや自説を固く守ることを言う。秦の始皇帝以降、2000年という中国の長い歴史から跡形も無く消された「墨家集団」の逸話としては面白いが、墨子の根本である兼愛思想からすれば、城を守る規律のために、人を罰し斬首する光景は少し違和感を覚えた。まあ如何なる映画となるのか楽しみである。映像にすると緊迫感のあるものになるかも知れない。



ちなみに



墨子 第十七:非攻上



今ここに1人の男がいて、他人の果樹園に忍び込み、桃や李を盗んだとしましょう。民衆がそれを知ったならば、それを悪だと非難するでしょうし、統治者がその男を逮捕したなら、処罰するでしょう。それはどうしてでしょうか。他人に損害を与えて自己の利益を得たからです。他人の犬や鶏や豚を盗む者は、桃や李を盗む者よりも、その不義は一層甚だしい。これはなぜでしょうか。他人に損害を与える程度が、さらに大きいからです。他人の馬や牛を奪い取る者は、犬や鶏や豚を盗む者よりも、その不義・不仁はさらに甚だしい。これはなぜでしょうか。他人に損害を与える程度が、ますます大きいからです。およそ他者に損害を及ぼす程度が多くなるにつれ、その行為が不仁である度合もますます増大し、その罪もいよいよ重くなるのです。何の罪もない人間を殺害して、着ていた衣服を剥ぎ取り、所持していた戈や剣を奪い去る者に至っては、馬や牛を奪い取る者より、その不義・不仁はさらに甚だしい。これはなぜでしょうか。他人に損害を与える程度が、ますます大きいからです。ところが今、大規模な不義を働いて、他国を攻撃するに至っては、だれもその行為を非難することを知りません。攻伐を称賛し、その行為を正義の戦いなどと評価しています。1人の人間を殺害すれば、社会はその行為を不義と判定し、必ず死刑に処します。こうした殺人罪に関しては天下の君子たちの誰もがこれを非難すべきことと認識し、これを不正義だと判断しています。ところが今、大掛かりな不義を働いて他国を侵略するに至っては、一向に非難すべきことを知りません。侵略を褒め称えては、義戦などと美化しています。つまり彼らは、実際に侵略戦争が不義であることを認識していないのです。今ここに人がいるとしましょう。その人間が少量の黒色を見たとき黒だといい、多量の黒色を見たときには白だと言えば、人々はその人間を白と黒の識別すらつかぬ者だと判定するでしょう。あるいは、苦いものを少し嘗めては苦いといい、苦いものを大量に嘗めては甘かったなどといえば、だれもがこの人間を甘い苦いの弁別さえできぬ者だと判定するでしょう。今の君子たちは、小規模な悪事は犯罪だと認識して非難しておきながら、大規模な悪事を働いて他国に侵攻すれば、それを褒め上げ、これぞ正義だと吹聴しています。これでは、はたして正義と不義との区別を知覚しているなどと言い張れるでしょうか。



墨子 第十四:兼愛上



混乱の原因を考えてみると、それは相互に愛し合わないことから発生しています。臣下や息子が君主や父親に孝でないのが、混乱のひとつです。また父親が息子を慈まず、君主が臣下を慈しまないという場合も、混乱のひとつです。
世間で盗賊を働く者も、我が家だけを愛して、他人の家を愛そうとしないから、他人の家から盗んで、それを我が家に利益をもたらそうとします。賊人も我が身だけを愛して他人を愛さないので、他人から奪って我が身に利益をもたらそうとします。大夫が互いに相手の家を混乱させ、諸侯が互いに相手の国を攻撃するのも、これと同様です。
世界中のあらゆる種類の混乱は、いずれも互いに愛し合わないことが原因です。

もし世界中の人々に自己と他者とを区別せずに愛し、他人を愛することまるで我が身を愛するかのようにしたなら、それでもなお孝でない者がいるであろうか。そうなれば国家と国家は互いに攻伐せず、家門と家門は互いにかき乱さず、盗賊もいなくなり、君主と臣下や父と子の間も、すべて孝慈の関係で結ばれるであろう。このようであれば、間違いなく世界中が安定します。



とあります。



「兼愛」はキリスト教の「慈愛」であり、この非攻は、世界平和に通じるが、墨子を生んだ中国とキリスト教を信仰する人々の国が世界で一番殺戮を犯しているのは皮肉としか言いようが無い。





2006年11月26日日曜日

十字架上のキリストの最後の7つの言葉

Uccg1193emersonsq久しぶりにCDを購入。ハイドン作曲 弦楽四重奏曲版 「十字架上のキリストの最後の言葉」~エマーソン弦楽四重奏団 である。輸入版を買ったので、1000円程安かった。はじめ司祭による言葉と管弦楽という編成で作曲されたこの作品は、後に作曲者自身によって弦楽四重奏曲用に編曲され、これが人気を呼び、さらには独唱、合唱、管弦楽による大規模なオラトリオ版も作曲された。スペインのカディス大聖堂の依頼により作曲されたもので、聖金曜日に、福音書の七つの言葉を読み瞑想する時間に演奏されるための音楽となっている。調性は、ニ短調。





  • 序曲


  • 第1ソナタ 「父よ!彼らの罪を赦したまえ」 Largo


  • 第2ソナタ 「おまえは今日、私と共に楽園にいる」 Grave e cantabile


  • 第3ソナタ 「女性よ、これがあなたの息子です」 Grave


  • 第4ソナタ 「わが神よ!何故私を見捨てたのですか?」 Largo 


  • 第5ソナタ 「渇く!」 Adagio


  • 第6ソナタ 「果たされた!」 Lento


  • 第7ソナタ 「父よ!あなたの手に私の霊を委ねます」 Largo


  • 地震 Presto e con tutta la forza


ほとんどが緩徐楽章からなるこの異色作の演奏には、静謐なテンションの持続、響きの純正さ、デリケートなニュアンスといった要素が求められる。





演奏のエマーソン弦楽四重奏団は、アメリカが建国200年を祝った記念すべき年である1976年に、フィリップ・セッツァーとユージン・ドラッガーというジュリアード音楽院に学ぶふたりのヴァイオリニストが、同窓生の他ふたりと一緒に結成した弦楽四重奏団である。
エマーソン弦楽四重奏団というこの演奏団体の名称は、アメリカの偉大な哲学者であるラルフ・ウォールド・エマーソンの名前に由来するものである。エマーソン弦楽四重奏団の結成後すぐにときめきと頭角を現し、2年後の1978年にはナハトマジーク室内楽賞を受賞した。そして、1980年にワシントンD.Cスミソニアン・インスティテートのイジデント・クワルテットになった彼らは、その2年後にはニューヨークのリンカーン・センター室内楽協会の第1レジデント・クワルテットにも迎えられ、それ以後は、ハートフォード大学のハート音楽学校で教授活動と演奏活動を行うレジデントになり、1983年にはアスペン音楽祭のレジデント・クワルテットとしても活動するようになった。1985年に初めてヨーロッパに演奏旅行を行なってセンセーショナルな成功を収めた彼らは、間もなく現代を代表する弦楽四重奏団のひとつとして数えられるようになったが、高度な演奏技術とシャープなモダンな感覚を兼備」した彼らはそれによって伝統と矛盾することのない新鮮でみずみずしい演奏様式を打ち出している。(グラモフォン:コメントより)



管弦楽版は持っていたので、とにかく「弦」が聴きたくて。聖堂で聴くには、管弦楽版のほうがいいかもしれないが、弦の引き締まった音は、第一音から背筋に電気が走るのだ。十字架のキリストを瞑想するには、弦楽四重奏曲があっているかもしれない。素人には、音楽性はわからないが、序曲と終曲{地震}以外、7つの言葉に合わせソナタが並ぶという異色さは、ハイドンならではかもしれない。



それでは、序曲introduzione_i__maestoso_ed_adagio(クリック)をお楽しみください。 コメントもお寄せください。





にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ ←もクリックして下さい。



2006年11月10日金曜日

亀裂 ERC HOT

2006_11090006 これが、亀裂の入った ERC HOTのフェイスだ。原因不明である。いつも芯ばかりで打ってるからだろうか??? (いや そんなことはない)14回で1・2度あればいいはずなのだが・・・・



2006年11月5日日曜日

芸術の秋 - モーツァルトを語る 第5弾

Mozart21 やはりこのところ、モーツァルト生誕250年でTV番組がよく組まれている。昨日も日本テレビで天才の謎をテーマに2時間番組が。ミーハーの私はつい見てしまう有様。そういえば、月9の「のだめカンタービレ」も娘の影響で見ているこの頃である。2台のピアノのためのソナタ 二長調 K.448が、早速出てきたのには驚かされた。なにせモーツァルトは、<2台のため>は1曲しか作曲していないのだから。



さて第五弾は、「大ミサ曲ハ短調K.427」である。



これは、残念ながら未完の曲である。「クレド」は、途中のエト・インカルナトゥスは一部未完であり、クルチフィクスは書かれていない。「アニュス・デイ」は完全に欠落している。現在は、未完部分を補ったアロイス・シュミット版かロビンス・ランドン校版、最新のレヴァイン版が用いられる。この曲は、誰からの依頼でもなく自分のために作曲されたものらしいが、初演でのソプラノは妻 コンスタンチェがつとめている。「キリエ」のソプラノの独唱にまず圧倒されてしまう。あわれみたまえ とはこういう音なのかと信じさせるにたるメロディーである。その音の先にキリストの十字架が臨める。(カトリック教徒でもないのに)不思議だ。グロリアの最終節の壮大なフーガは見事で、まるでオペラのラストのような輝きを放つ。クレドは、やっぱり エト・インカルナトゥス・エストのフルートとソプラノの美しい掛け合いだろう。神の恩寵はこうしてもたらされると言われれば、納得するかもしれない。ちなみに私のCDは、ウィーンフィル:レヴァイン指揮 ソプラノは、キャサリン・バトルである。ブラボー アマデウス!!



それではkyrie_eleison(クリック)をお楽しみください。







にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ ←もクリックして下さい。



ERCⅢ

270891_3 ドライバー買ってしまいました。Callaway ERCⅢ です。先週のコンペで突然、ERC HOT (使用 1年2ヶ月)のフェイスの中心が割れてしまい思い切って買い換えました。実は、欲しいなと思っていたので、背中を押してくれて感じです。グリップが細めなため、それでなくてもかぶりやすい癖があるので、二木ゴルフですぐに太めにしてもらいました。HOTのようなキーンという馬鹿でかい金属音もなく、すーっと飛んでゆく感じです。やはりここ一番のあたりはHOTの方が断然飛ぶようですが、Ⅲは、安心感があります。弾道もそれほど吹き上がる感じがしない、ランも出そうで、これからの季節はいいかもしれません。ちょっと早い自分の誕生日プレゼントとなりました。



2006年11月3日金曜日

芸術の秋 - モーツァルトを語る 第4弾

Mozart_1756 第四弾は、「ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466」である。モーツァルトには、短調のピアノ協奏曲が2曲しかない。20番と24番だ。どちらも名曲である。この曲は、低音域で蠢く悲劇的な音で始まる。悲しみを奏でるピアノは圧巻。弦楽器のシンコペーションは重苦しく、哀願するピアノはカデンツァまで一瞬の緩みもなく続く。心を突き刺すようなファルテシモは、暗闇に出会った死神への驚きのようで恐怖がつきまとう。つづく第二楽章は、ロマンスと呼ばれている。変ロ長調による陽だまりのような甘美なメロディーで始まるが、突如として中間部のト短調では、嵐のような激情につつまれる。また、変ロ長調に戻り安らぎを迎える。第三楽章は、明るいリズムでハッピーエンドのようなエンディングを迎える。何故、この時代(宮廷音楽花盛り)にこのような曲が書けるのか?天才としか言い表せない。さて1984年アカデミー賞作品賞、主演男優賞、監督賞、脚色賞、美術賞、衣裳デザイン賞、メイクアップ賞、音響賞の8部門の受賞に輝いた「アマデウス」に、この第一楽章と第二楽章が使われている。第一楽章は、サリエリが、父レオポルドに扮するためにマスクを買い、モーツァルトに鎮魂ミサ曲を依頼する場面で使われ、第二楽章は、ラストのサリエリが車椅子で去ってゆくエンディング、エンドロールに使われている。とにかくブラボー、アマデウス!!





それでは、第二楽章k_466_2 (クリック)をお楽しみください。



にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ ←もクリックして下さい。



2006年10月27日金曜日

松蔭先生 命日

Shoin吾今爲國死,
死不背君親。
悠悠天地事,
鑑照在明神。











吾 今  國の爲に死す,
死して 君親に 背
(そむ)かず。
悠悠たり  天地の事,
鑑照  明神に 在り。



私は、今、国のために命を捧げようとしている。死んでも決して君主と親とに忠考を尽くすことに背きはしない。遥かにかぎりない天地間のことは、すべて神様が照らし見ているので、今更自分の心事をかれこれいうことはない。
松蔭先生、刑死直前に大声して読みし、五言絶句である。



松陰先生のこのような心境に至って死につくことの「すごみ」を思わずにはいられない。



2006年10月23日月曜日

芸術の秋 - モーツァルトを語る 第3弾

0004430 第三弾は、「弦楽四重奏曲第14番「春」ト長調K387」である。14番から19番は、ハイドンセットと呼ばれている。モーツァルト はハイドンの「ロシア・セット」に啓発され、6曲の弦楽四重奏曲(第14番~第19番)を作曲した。その1曲目がこの「春」で、第15番ニ短調 (K421)、第17番「狩」(K458)、第19番「不協和音」(K465)と、名曲ぞろいで、彼の弦楽四重奏曲全作品の中で頂点をなしている。この6曲に、まる2年間をかけているが、筆の速い彼としては、異例の時間のかけようである。そこには尊敬するハイドンに捧げるために、全力を尽くす姿が見えてく る。さて、モーツァルトといえば、耳障りの良い肩のこらない曲ばかりが流布され、それがモーツァルトだと思われている。しかしモーツァルトがそうした肩のこらない曲ばかりしか作らなかったとしたら彼の名は現在のように音楽史に燦然と輝く存在とはならなかったである。4つの楽章からなるこの曲は、溌剌とした明るい第1楽章から始まり、第2楽章のメヌエット(ハイドン風に)、第3楽章のアンダンテ・カンタービレと続く。しかしなんといってもこの曲のすごいところは第4楽章モルト・アレグロである。簡単に言うと、5分足らずの中に技巧の粋が詰め込まれている。半音階の多用(モーツァルト・クロマティシズム)、そしてフーガとソナタ形式の統合(前人未到のホモフォニーとポリフォニーの統合)は、かの「ジュピター」に先立ちこの曲で見事に完成されていたのである。フーガによるポリフォニックな構成で始まり、第17小節後半より突然古典派特有のホモフォニックな和声が響いてくる。そしてまた第31小節より今度はまたポリフォニックな構成となる。ここは、バロック時代に確立された係留音が伴う。第39小節よりまた今度はホモフォニックな新たな楽句があらわれ、第50小節まで続く。天才モーツァルトを印象付ける一曲である。ブラボー アマデウス!!



それではMolto Allegro.mp3 (クリック)をお聴きください。



にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ ←もクリックして下さい。



2006年10月20日金曜日

芸術の秋 - モーツァルトを語る 第2弾

K516 第ニ弾は、「弦楽五重奏曲第4番 ト短調 K516」である。この曲の出だし(画像クリック)を知らないで「モーツァルトが好き」といってる人は真っ赤な偽者である。モーツァルトとト短調という調性は切っても切り離せない「宿命の調性」といわれている。交響曲25番、40番。クラヴィーア四重奏曲。そしてこの曲。「疾走する悲しみ」と言われたこの曲を聴かずして決してモーツァルトは語れない。心をえぐる という言葉がぴったりくるかもしれない。小林秀雄が有名にした冒頭の第一主題の半音階は、一種独特の情緒を持つ。第二主題は、休止符が絶妙で声の出ない嗚咽のようでもある。第ニ楽章のメヌエットは、あまりに悲しいのだ。下降音階と鋭い和音が悲愴感を込みあがらせる。もし後に続くトリオでのヴァイオリンが明るく振舞ってくれなければ、何処までも落ち込んでしまうだろう。つかのまの安息だ。そしてこの曲の最終楽章(第4楽章)は、悲しいト短調(アダージョ)の調べから突如 ト長調(アレグロ)へ移行する。しかし手放しで明るいものではなく、どこかそこはかとない寂しさの痕跡をなおも引きずっている。「慰めなき長調」と呼ばれるこの音を聴いて初めて天才モーツァルトを知るであろう。ブラボー アマデウス!!



それでは、第一楽章allegro(クリック)をお聴きください。





にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ ←もクリックして下さい。



2006年10月19日木曜日

背教者 ユリアヌス

先日、すーさん先輩と久しぶりに飲む機会があった。すーさんも大の読書家だ。私のように凝り性ではないので、いろんな書籍を読む。前述の「大聖堂」もとっくに読んでいた。そんな、すーさんの好きな本が「背教者 ユリアヌス」 辻邦生 著である。 本棚をさぐって久しぶりにぱらぱらとめくってみる。小説冒頭「かの人を我に語れ、ムーサよ」で始まるこの小説は、「なんという地上の美しさであろう」というユリアヌスの最後の言葉で終わる。背教者という蔑称でキリスト教徒から呼ばれているために、あまり知られていない皇帝だ。在位も非常に短い。当然、ほとんどの日本人は、この辻邦生の小説でその存在を知る。しかし彼がもっと長く生きていたら今のキリスト教世界は大きく変わっていたかもしれない。そしてこの当時の宮廷政治は今の腐った官僚政治にも通じ、非常に見苦しいものだ。その為ユリアヌスの純粋な情熱だけが余計輝いてみえる。皇帝になってからも、学塾での学友たちとの親交が続き、庶民の心をもったまま傲慢にならずに、学んだ哲学の理想を現実に実現しようと労苦した皇帝ユリアヌスの姿は、何らかの蛮行を治世の間に行ってきた従来のローマ皇帝のイメージを一変させる。だから読んでいていつのまにかユリアヌスを一生懸命応援してしまうのだ。この本を読んだのは、20代の頃だと思うが、キリスト教徒のことを、同じように「ガラリヤ人がぁ」と呼んでいたのを思い出す。(すぐに感化される)まるで大河ドラマのような小説である。上中下と長い本が、私もお勧めである。



2006年10月8日日曜日

芸術の秋 - モーツァルトを語る 第1弾

芸術の秋を迎えて「モーツァルト」を語りたい。第一弾は、「ピアノ協奏曲第17番ト長調K453」である。モーツァルトの中で一番好きな曲は、Hpにも書いたが「ピアノ協奏曲第23番」である。でも最近この17番が何故かお気に入りである。優雅な形式の中で虹のような色調の変化に身をゆだねてゆくうちに、「やさしさ」が、いつしか心いっばいにしみ渡ってくる。木管楽器を効果的に使い弦と管、オーケストラとピアノの掛け合いが洗練された色彩豊かな響きを生み出している。第1楽章は、ロンド風の踊り跳ねまわるような第1主題に始まり、転調を何度も何度も繰り返す。音という個々の素材が、様々に組み合わされていくとき、一つのメロディーとなる。展開部はまさにその真骨頂で、素材は単なる分散和音に過ぎない。それがこのような世界を作り上げるのだからすごい。第2楽章は、なんと美しいのであろうと思う。荘重なテーマに始まり、長調と短調との間をさまよいながら、抑えきれなくなった感情が徐々に溢れ出してくる。変則的なロンド形式だが、幻想曲と呼ぶのが最も良い気がする。短調に転調したところなどは、ショパンでも聴いているかのようだ。 第3楽章は楽しく軽快に、そしてまたさわやかに流れていく。モーツァルトが飼っていたムクドリがこの楽章の第1主題を歌うことができたというエピソードはよく知られているが、確かに小鳥が歌うにふさわしい旋律ではないだろうか。私たちも社会の喧騒から離れて、鳥のさえずりに耳を傾ける時のように、心を澄ましてモーツァルトの音楽に耳を傾ければ、生命の中にもともとあったものが響きを始めるのであろう。 ブラボー アマデウス!!それでは、聴いて下さい。mozart_17_k.453(クリック) Mozart20



にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ ←もクリックして下さい。



2006年10月4日水曜日

大聖堂

Photo_14 ケン・フォレンット著 「大聖堂 上中下」を読んだ。中世ヨーロッパものを読むのは久しぶりかもしれない。以前、塩野七生が好きで、「コンスタンチノープルの陥落」から始まる三部作や、「海の都の物語」  「神の代理人」「わが友マキャベリ」など立て続けに読んでいた時期があった。ケン・フォレンットはスパイ小説家なので見落としていた。3巻2000ページにも及ぶ物語は圧巻であった。プロローグからフィナーレまでおよそ半世紀にまたがり物語は進行して行くのだが、全く飽きさせることなくその中に引き込んでくれたのには驚きだ。登場人物はそれぞれに個性があり、人間の弱さ・悪・良心など様々な面を演じてくれる。権謀術数や欲望、愛憎そして夢・こだわり・強い意志すべてが繰り返し繰り返し流れる。幸福は悲劇への序章であり、また悲劇は、幸福への道しるべとなる。題名となっている大聖堂の建設の描写もきめ細かく、さすがだ。久しぶりに読み応えがあり良い作品に出会えた気がする。





2006年10月2日月曜日

ノースショアカントリー倶楽部

Title 今週は、ノースショアカントリー倶楽部に挑戦。距離がレギュラーから6573ヤードと長くラフも素人にはキツい比較的タフなコースである。今日は、出だしからスティディーなゴルフを心がけハイスコアペースであったが、落とし穴はいつも存在する。難しい上がり3ホールで我慢しきれず、大崩れ。OUT=42、IN=47の89というスコアとなった。ドライバーが相変わらずなので、ラフに苦しんだが、アプローチとパターはまあまあであった。水戸時代の師匠であるM君はパターを忘れてレンタル。おかげで90と精彩を欠く結果に。2度目の勝利となった。終盤少し雨が降ってきたが、秋のオンシーズンらしい1日であった。



2006年9月21日木曜日

安倍晋三

安倍晋三君が、臨時国会が召集される26日の衆参両院本会議で、第90代、57人目の首相に指名され、同日中に新内閣を発足させる見通しだ。山口県出身でなんと8人目の総理大臣である。東京都出身が同じ8人であるが、他の県に比べると圧倒的である。さすが長州藩である。あの鹿児島県ですらたった3人で、岩手県の4人よりも少ない。過去の7人は伊藤博文、山形有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作である。昭和40年代、まだ小学生だったころ故郷 山口県は、周りの県に比べて妙に道路がきれいだったなと記憶している。新幹線の駅もなにもない県の割には5つもある。さすが、宰相の県は違うなと思っていた。だからどうということはないのだが、お国自慢ではある。



2006年9月17日日曜日

立野クラッシックゴルフ倶楽部

13_2 雨が暫く続き天候が心配されたが、絶好のゴルフ日和にめぐまれ、またしても晴れ男ぶりを発揮した。今回は、千葉の姉ケ崎にある「立野クラッシック・ゴルフ倶楽部」でプレー。インターからも近く、自宅からわずか40分。まさしく接待ゴルフ場で、フラットな美しい所であった。歩きもそれほど気にならなかった。ティーショットは最悪でスコアは平凡な93というありさまでした。久しぶり回ったI氏は、絶好調で87。このところ100を切れない日々を過ごしていたので、やんやの喝采をしておいた。しかし1年ぶりの敗戦を喫したはやはり悔しい。それにしても楽しい仲間とのゴルフは格別である。





2006年9月11日月曜日

キャプマーカー

日本女子プロ選手権 見事に凱旋の宮里藍が優勝を飾った。すごい精神力だ。(兄は案の定崩れたが)そんな藍ちゃんは、新しいキャップマーカーをしていた。写真右側がそれです。パットが苦手な人は宝物になるかも。そして左が私の現在のキャップマーカーだ。台は、今週、まさに女子プロ選手権の舞台となったニドムクラッシックのオリジナル商品。マーカーは、川奈ホテルゴルフコースのものだ。何故別々なのか?すぐなくしてしまうんですマーカーを。Ai_Dscf0856でも案外これは、最強コンビかもしれないと思ってます。もうなくしませんように・・・・



2006年9月10日日曜日

ハンチング

2006_09090001 ゴルフの時はいつも「ハンチング帽」をかぶる。すーさんという先輩の真似で始めたが、最近やけに気に入って何種類か買ってしまっている。季節とウェアーに合わせてその日の帽子を決める。元は狩猟用で日本語では鳥打帽という。ハンチングにも色々な種類があります。トップが一枚天井で円に近いものは少しレトロな印象ですが、これが正統派です。同じ一枚天井でも幅が狭く楕円形なのはアイビーといい、後ろまでつながっているものはモナコと呼ばれます。現在主流はサイドや後ろに調節がついているものです。また、ベレーに似た形で型入れをして形作っているものは プロムナードと呼ばれています。ちょっと気取った感じですが、ゴルフがうまそうに見えるので是非お試しを。帽子といえば、水戸時代のI氏。夏によく麦わら帽をかぶってました。酒焼けした顔と相まって、どうみても「タイ人」にしか見えなかったです。そんなI氏と来週久しぶりにゴルフをします。最近元気がないみたいなので、一つ励ますとしましょう。



2006年9月5日火曜日

サッカー 日本VSサウジ

何故 日本は、アウェイの戦い方をしないのだろう。昨夜は完全に戦術のミスだ。あんな酷暑の中で、ホームと同じような攻撃スタイル。アジアレベルでは、サウジといえどもアウェイでは逆に攻めさせてカウンターで十分なのに。結局、消耗していつものようにミスを連発。つまらない点のとられ方で敗退。日本の失点には、必ず不用意な横パスがあることを忘れてはならない。昨日もサントスから遠藤へのパスをカットされてところから点が入っている。4年前、日韓W杯が始まる前から、中田(浩)の不用意な横パスで日本は負けると予言していたが、トルコ戦で案の定やってくれた。まあ過去の話は置いといて、日本の戦い方の根本はやはり「Jリーグ」にある。Jリーグでは、ホームアドバンテージがあまりない。だからアウェイでの絶対的戦術が生まれてこないのだ。どこでやっても同じ戦い方をする。攻められないのは、相手が格上の時だけ。守って守って1点をとる戦い方をしらない。パラグアイのような戦い方が時には必要だと思う。パラグアイは南米で、攻めまくるブラジル・アルゼンチンをいつも相手にしないといけないから、ああした戦術を国として持っている。日本は見習うべきではない。ギリシャが、2004年欧州選手権を制した時から、世界のサッカーは変わったんだと私は思っている。今回のワールドカップがそれを証明している。ブラジル、アルゼンチンの華麗な攻めでは世界を獲れなかった。守って守って1点をとる戦いが、決勝トーナメントで見えたではないか。確かに観る者はつまらない。しかしそれが現実なのだ。アジアレベルでも中東での試合はそうすべきだと私は強く思う。



2006年9月3日日曜日

コンペ優勝

今日は、北海道の千歳(新千歳カントリー)にて会社のゴルフコンペでした。前回の悪いスコアのハンディーが功を奏して見事優勝でした。前半は、12パットと絶好調の42。バーディーも1つ。後半は、いつものように体力負けで47。しかしやっと今年念願の80台がでました。この所、91までで何度も跳ね返されていたので非常にまんぞくの一日でした。気温は、17℃~22℃、快晴と最高のコンディション。やっぱり夏のゴルフは”北海道”に限ります。Hamanasu_12 汗一つかかず、清清しい陽気。白樺は美しく、心も洗われます。北海道は、スルーが基本です。18ホール終わって、パーティー。込んでいないのでストレスもなく回れました。今年の内にもう一度プレーしたいものです。



2006年8月16日水曜日

靖国

春秋左氏伝に「吾以靖国也」(吾以つて国を靖んずるなり)の言葉がある。明治天皇は、戊辰戦争で戦死した長州人を慰霊するために東京招魂社を創建されたが、これが今の靖国神社である。後に先の言葉を典拠とし「靖国神社」と変名した。なお日本最初の招魂社は、山口県下関市にある現桜山神社で、高杉晋作が殉国の志士の神霊を祀るために創建した。ということで、長州人である安倍晋三は、これからも参拝するね。当然。



2006年8月15日火曜日

西施

最近、「小説 孫子の兵法・・・鄭 飛石」というのを読んだ。勿論、呉越の争いを孫武と伍子胥を中心に描いている。作家は、韓国人だ。その中で登場する「傾国の美女 西施」について書きたい。呼び名は「沈魚美人」。魚が、西施を見てその美しさに泳ぐことを忘れてしまい沈んだということからきているらしい。



中国古代四代美人の一人だ。他の三名は、まず言わずと知れた「楊貴妃」。唐時代700年代。唐の六代皇帝・玄宗がその美貌にほれて18人目の息子の嫁を召し上げて自分の妃にした。玄宗皇帝61歳、楊貴妃は21歳。時に当時世界で最大の都市だった長安は牡丹の花が盛りだったと言う。呼び名を「落花美人」という。花が、楊貴妃の前では、その美しさに敵わず恥ずかさのあまり花びらを落としてしまうということらしい。玄宗皇帝が安録山の乱に敗れた時、楊貴妃は密かに中国を脱出して日本に漂流したといわれる。山口県油谷町に楊貴妃の墓がある。
次は、三国志に登場する「貂嬋」。三国時代180年ごろ。あの三国志演義を彩る美女歌姫。正史にはその名を見つけることが出来ない。後漢の大官・王允(おういん)を助けようと横暴を尽くす二人の武将・薫卓とその養子・呂布(りょうふ)の間に入り三角関係をつくらせる。これを”連環の計”という。この計略で貂嬋の虜になった呂布は薫卓を殺してしまう。使命を果たした後、自分の命を絶つ。別名「閉月美人」。月が、恥ずかしさのあまり雲に隠れてしまうことらしい。三番目は、「王昭君」。前漢朝末期紀元前30年ごろ。召し上げられるの嫌い似顔絵師に偽って「醜女」のように描かせた。皇帝は匈奴との和睦のために一番醜女を差し出すこととし、似顔絵から王昭君を選ぶ。皇帝は匈奴の王に与える前に王昭君に初めて対面するが彼女は後宮一の美女だった。しかしもうどうすることも出来ず、悔しがって匈奴の妃として与えたという。呼び名は「落雁美人」。雁がその美しさに見とれて落ちてしまったことからきている。
そして、悲劇の美女、私がもっともお気に入りなのが「西施」。紀元前の人。その美貌度、知名度は中国ではあの楊貴妃をしのぐ。越王・句践(こうせん)は歌舞音曲を教えこみ、呉王・夫差に献上として嫁がす。好色で快楽的な夫差はその美貌におぼれ、ついに国を滅ぼす。芭蕉は奥の細道で「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠っている。また、中国に「西湖」という美しい湖があるが、北宋の詩人蘇東波がこの湖をこよなく愛し、その詩の中で中国古代の美女西施にたとえて「西子湖」と詠んだことから、西湖と呼ばれるようになった。国を滅ぶす美女は中国には多く登場する。妹喜(ばっき),妲己(だっき),褒[女以](ほうじ),驪姫(りき)などは己の美貌をもって君主に取り入り,ふるまったために国を傾けた悪女である。つまり傾国=悪女とみてとることができるが,西施は呉王夫差を堕落させるための句践,范蠡の計略の道具として利用されていたと言える。その点で自らの意思で傾国させたのではないところが,彼女を悪女というイメージから遠ざけ,生きる目的のない悲愁さえ誘うように思える 。それ故、哀れな最期をむかえたことと,男に利用された薄幸の美女としての西施に同情を禁じえない。
李白は「蘇台覧古」という詩を書いています。  



 旧苑荒台楊柳新  旧苑(キュウエン)荒台(コウダイ) 楊柳新(アラタ)なり



 菱歌清唱不勝春   菱歌(リョウカ)清唱 春に勝(タ)えず



 只今惟有江西月  只今惟有り 江西(コウセイ)の月



 曾照呉王宮裏人   曾つて照らす呉王宮裏の人



(意味) 旧い庭園、荒れた楼台には、楊柳が芽を吹いている。菱の実を採る娘達の清らかな歌声が傷春の思いをかきたてる。今も変わらぬものは川の西空に輝く月だけ。この月こそ、その昔呉王の宮殿の内の人、西施を照らした月なのだ。



美人というものは、後世の詩人の心をそそるようだ。Img399



2006年8月12日土曜日

銀山温泉

宿泊は、「銀山温泉」でした。大正時代の面影が残る鄙びた温泉街は郷愁を誘いました。静かに流れる銀山川をはさんで並ぶ木造りの旅館の数々。大正から昭和初期の三層、四層の木造旅館の屋根のひとつひとつには、銀山の歴史が宿っています。でも宿は「銀山荘」という温泉街の入り口に位置し、新しい建物。きれいな宿でないとちょっと。露天の「寝湯」が自慢で、すっかり長湯をしてしまいました。この日は、最上峡にて舟下り。川風がすがすがしくゆっくりとした時間を過ごしました。
今回の旅行は、往復1100km!!さすがに疲れました。Dscf0838



2006年8月11日金曜日

家族旅行~山形1泊

Dscf0825 2日ほど休暇をもらい、山形に家族で温泉旅行としゃれこんだ。家族といっても、長男(大学生)長女(高校生)はいない。小6の弘季を連れての旅行である。1日目は、芭蕉で有名な「立石寺」を目指した。1100段もの階段は、さすがにしんどかったが、日頃のゴルフのおかげで筋肉痛もなし。りっぱである。山形は、東北だが庄内盆地というだけあって、千葉と変わらず、暑い、暑い。全く避暑とはならなかったのは残念だ。



カエサルを撃て

Photo_9 佐藤賢一「カエサルを撃て」を読んだ。本書の舞台となるのは、8年に渡るカエサルのガリア戦役のほぼ終局期に勃発したガリアの総蜂起。ガリア側にたった戦記としての物語の展開。定説にとらわれない想像力を駆動させて、全ガリアの命運を決するこの一大決戦をウェルトキンゲトリスクとカエサルとの一個の人間同士の争いとして描きだしている。ガリア制覇の緒から対ポンペイウス戦役を征するまでのあいだ、ほぼ負けるということを知らなかった常勝カエサルに地を舐めさせた稀有の好敵手ウェルトキンゲトリスクとは、いったいどんな人物だったのか。彗星のごとく現れ、文字通り全ガリアの期待の星となったこの青年に大きく軸足を置きながら、佐藤賢一版「ガリア戦記」は展開する。中年となったカエサルと青年ウェルトキンゲトリスクの攻防。ハラハラしながら一機に読み終えた。過去の栄光を持つカエサルが、目の前にある「戦闘」に目覚めたときから、突然に面白くなります。お勧めです。



2006年7月30日日曜日

何故か??

800hanabataketoyari99 長男が今年より大学に入った。運動音痴でほとんど体力にも自信がないはずだが何故かワンゲル部へ入部した。高校時代は、演劇部。たぶん何か文系のクラブへでもと思っていたが、彼はとことんやはり不思議な人物だ。日本中いろんな所へ行けるのでいいらしい。そんな彼は、本日より夏合宿へ出かける。まず、富山から北アルプスを縦走し上高地へ。そして何故かそのまま倉敷に渡り、チャリンコで四国、九州のワンダリング、阿蘇・高千穂・霧島と縦走し鹿児島で解散。何と22日間の長旅。無事戻ってこれるのだろうか?まあ今は真剣に楽しんでいるみたいなので見守るしかない。何が楽しいかわからないが私に似て凝性なので続けるだろうなっという気はする。



2006年7月10日月曜日

独りで悲しみに浸りたい時は

Amadeus_top この美しく、魂をゆさぶられる音はなんだろう。単純な音階だというのに。それは最も私を魅了してやまないピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488 第二楽章である。モーツァルトファンにはおなじみであるが、「アイネクライネ・・」ぐらいしか知らない人からすれば、これがモーツァルト?という曲であろうか。モーツァルトほど悲しみのバリエーションを多くもつ作曲家はいない。この曲は是非、独りで聴いてもらいたい。ゲオンは、弦楽五重奏第4番ト短調K.516の冒頭の譜を書いて、「モーツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる・・・」と。小林秀雄は「Tristesse(かなしさ)を味わうために涙を流す必要がある人々には、モーツァルトのTristesseは縁がないようである」と書いた。確かに、K.516はそうかもしれない。しかし、このアダージョの、救いようのない悲しさに涙してしまうのは、私だけだろうか。



それでは、K488(クリック)第二楽章、お一人でじっくりお聴きください。



2006年7月9日日曜日

カレドニアンゴルフクラブ



Cano5



梅雨明け前で天気が心配されたが、またも晴れ男振りを発揮し、曇り空ではあったが夏場でかえって助かる天気でプレーをできた。まずゴルフ場だが、さすが世界の名ゴルフ場100撰に選ばれるだけあって、すばらしいメンテナンス状態であった。また、バンカーの白砂やところどころに配置された池の美しさもみごとであった。写真は、15番ロングだがマスターズの13番を思わせる造りで美しかった(しかしスコアはトリ)。ティーショットを改造・アイアンのグリップ交換で臨んだ今日、スタートから2ホール続けてバーディーと脅威のスタートダッシュ。自己ベスト更新かと期待を抱いたが、終わってみれば91といたって平凡なスコアで、がっくり。まだまだメンタル面の修行が足りませんなぁ。



2006年6月30日金曜日

サッカーワールドで想う事

W杯のおかげで、このところ睡眠不足が続いている。今日から準々決勝まで3日ほど試合がないので一服という感じである。しっかり寝ておこう。さて、これから一週間ほど、かみさんが入院なので実は大変なのである。庭弄りはやるが、料理は全くできない。単身赴任の時も部屋にはやかんが1つあるだけだった。子供には悪いが暫く弁当や外食となりそうだ。申し訳ない。ところで、今日は異常に蒸し暑かった。愈々、夏が来るなぁ といった感じである。満員電車がこれからは本当に思いやられる。おっと 忘れるところだったが、水戸のゴルフ仲間:I氏 やはり転勤となった。場所は都内なのでまた時にはゴルフもできそうであるが、前のように頻繁とはいかないであろう。新しいアイアンも(新しいといっても中古品だが)送別に買ってもらったらしい。でもきっと練習はしないであろう。サッカーワールドカップ、今回は「強豪」といわれる国が順当に勝ちあがっている。試合も確かに見ていて楽しい。そして寝不足だ。しかしやはり日本人だな。あの未熟なサムライブルーを応援し、見ているときが一番興奮する。はらはらドキドキの連続だからという理由だけではない何かがある。大和魂(ヤマトゴコロ)にどうしても火がつくのである。頑張れニッポン!! うーん それにしても今年は、「世の中甘くないぞ」ということを教えてくれる年だなとつくづく思う。冬季オリンピックの惨敗・勘違いの日本サッカー・ルールを忘れたホリエモンと村上ファンド・春先よかった巨人の急降下(これはちょっと嬉しい)・隠しそこなった日銀 福井総裁の儲け・愛国心を捨てたヤンキース松井のケガなどなど。いずれにしても天に唾をしてはいけないんですね。などと思う今日このごろであった。



2006年6月19日月曜日

八陣図(石兵八陣)

Img379三国志の話。 
東呉の大都督陸遜(りくそん)が大いに蜀の軍を負かした後、尚も追撃の手を緩めず魚腹浦(ぎょふくほ)という所まで来ると、河の砂州に石を積み上げた陣地が見えてきた。人っ子一人いないのに中に何故か殺気が漲っている。兵を率いてその中に進入したが、ただ怪石が剣の様に高く聳え、土と砂が山の如く積み上げられているだけ。やがて、万の太鼓を一度に鳴らした様な音と共にその土砂が波を打って崩れだしてきた。慌てて兵を引こうにも退路も閉ざされてしまう。いぶかり、途方にくれている時、何処からともなく一人の老人が現れ、陸遜達を導き助け出し一命を取り止める。この不思議さに老人に尋ねると「ここは諸葛孔明の手による八陣の図という石陣である。全部で八つの門があり、毎日毎日変化させているので十万の兵の攻撃にも耐えられる」との事。陸遜は驚き、「一年も前からこのような仕掛けをしていた孔明はまさに伏臥せる龍である。私はとうてい彼には及ばない・・・」と嘆き兵をひくのであった。すでに三国志も後半のところであるが、孔明の逸話としてはおもしろい。ところでかの高名な詩人杜甫はちなんで「八陣の図」という詩歌を詠んでいる。                                



功 蓋 三 分 国 (功は三分の国を蓋い)
名 成 八 陣 図 (名は八陣の図に成る)
江 流 石 不 転 (江は流るるも石は転せず)
遺 恨 失 呑 呉 (遺恨なり呉を呑むを失せしこと)



杜甫も孔明の人格と才能に思わず詠わずにはいられなかったのであろう。





2006年6月12日月曜日

大洗ゴルフ倶楽部 1年ぶりの挑戦

Phco16_2 水戸時代の親友が、転勤の可能性が高い年数となっており3人一緒でのプレイも中々できなくなるということで、日本屈指の難コース「大洗」にて久しぶりにプレイをした。入梅で天気が心配されたが、久しぶりの「晴れ男」ぶりを発揮。ピーカンの天気であった。今日は、クラブ選手権後ということで、ラフがほとんど刈っておらず、ボールはほとんど沈んでしまい、少しでもラフにかかると100yも打てないという難コンディション。グリーンもエアレーションをいれた状態で(おかげで平日料金でラッキー)余計に難しくなっていた。その上、先週と打って変わってティーショットが安定せず、3打目勝負が続いた。しかし、名物16ホール(写真)で1オン後、距離を合わせた20mのパットが見事カップイン。バーディーをもぎとる。結果は、48:46=94。「大洗」にしては、自分なりには上出来であった。ライバルI氏は、ラフに苦しめられ、111のスコア。大洗の罠に悉く嵌っていた。練習している者としない者の差が歴然と現れた。いつも苦しめられるが、また挑戦したいコースである。



2006年6月5日月曜日

成田ゴルフ倶楽部~同期とGOLF

Naritacourse2ok 会社の同期とゴルフを楽しんだ。
名門:成田ゴルフ倶楽部である。ドライバーの調子もよく写真の10番ロングホール(par5:482Y)では、2オンに成功。イーグルは逃すものの久しぶりのバーディーを獲得。スコアも日記に書けるぐらいで46:45=91であった。4人が集まったのは本当に久しぶりでかなり楽しい時間を過ごすことができた。昨日買ったウェッジもバンカーで活躍してくれた。めでたしめでたし!!さて、成田ゴルフ倶楽部であるが、趣があり、さすがスーパー接待ゴルフ場といった感じであった。ゴルフコースのゲート、クラブハウスの外壁は、レンガで、シックな感じで、フロントの前に椅子があり、座ってチェックイン、チェックアウトができる。運転手の控え室もある。クラブハウスの中は、アンティークな家具があり、また、暖炉や書棚、昔のゴルフクラブが展示してある。さらに驚いたのは練習場。天然芝から打つことができ、料金は無料で打ち放題!アプローチ練習場、バンカーも完備。接待ゴルフ場といっても、簡単なコースではなく距離もレギュラーで6500y程で400y内外のミドルが6ホールもあるタフな設計(川田太三)で楽しめる。また是非プレーしたいゴルフ場であった。



2006年6月4日日曜日

ウェッジ購入

Pop_img_mt_28_v2_back 今日は、二木ゴルフでフォーティーンの58度のウェッジと26度のキャロウェイ、ビッグバーサヘブンウッドユーティリティーを購入した。バンカー対策と180y対策である。今のウェッジは抜けを意識してのロウバンスなので、未熟な私はバンカーがどうも上手くいかない。ここは神ならぬクラブ頼みだ。1年ぶりのクラブ購入である。しばらくこれで挑戦。ティーショットもだいぶ良くなってきたので復活も近いか???? 



2006年6月2日金曜日

ニドム・クラッシック

Pirika5b 先週は、北海道にてGOLFをしました。関東と違って、湿気が少なく非常にすがすがしい天候で、プレーをしたニドムも美しく最高でした。コースでは2度も「きたきつね」に出会いました。(今年、女子プロゴルフ選手権開催コース)スコアはイマイチでしたが・・・写真は、絶景だったピリカの5番ホールです。グリーンまで3つの池を越えていきます。池ぽちゃしてボギーでした。是非またプレーしたいです。



2006年5月21日日曜日

バラ:レオナルド・ダ・ヴィンチ

Dscf0743



アンチークタッチのバラ:レオナルド・ダ・ヴィンチ。今年も淡いピンクでお目見え。ここからアーチ一杯の饗宴が始まる。



2006年5月16日火曜日

ジーコジャパン23人決定

そういえば今まで、サッカーの話題を書いたことがなかった。実は、かなりのサッカーフリークであると自認している。Jリーグが開幕したときにちょうどサッカー王国「静岡」にいたこともあり、そのころからサッカーに嵌っている。何にでもよく嵌ってしまう奴だ。兎に角、凝り性の性分は治らない。さて今回のW杯は、前評判では1次リーグ突破は難しいといわれている。最近の試合を見ても誰もが半ばあきらめている。ただ、私はちょっとだけジーコジャパンの最大の武器を世論もマスコミも忘れているのじゃないかと思う。だから皆よりも期待をしている。その武器とは、恐ろしいまでのジーコの強運である。2次予選初戦北朝鮮戦での、ロスタイムの大黒のゴール、アウエーになるはずの2度目北朝鮮戦の無観客試合、バーレーンのまさかのオウンゴール。アジアカップでのヨルダンとのPK途中でのサイドの変更など、やばそうな時に悉くLuckyがつきまとっているではないか。まさに神の為せる業ではないかと感じるのである。頑張れNIPPON!! うんやっぱり運だけでは無理かな。



2006年5月15日月曜日

高杉晋作 愛用グラス

Dscf0851 写真は今日、萩工房から取り寄せた「高杉晋作が愛用した」と言われる萩ガラスのレプリカである。桐箱の「長州藩」の文字がまたGood!!である。このグラスは、高さ8センチ、口径4.8センチと小さい。東行記念館にこのグラスで酒を飲む晋作の掛け軸があるらしい。ちょっとお宝になりそうだ。折角なので、長州関連書籍の上に置いてみた。最近は、長州といえば、長州小力と安部晋三だが、やはり松蔭先生と高杉晋作を忘れていはいけない。とりあえず自分だけ納得の1日であった。



2006年5月14日日曜日

雨で断念

Mainimage 今日は、久しぶりのGOLF(千葉廣済堂カントリー)であったが、雨が強くなり、寒さも増してきたので風邪をひいてもつまらないので途中で止めました。正解です。”晴れ男”の異名をもつ私としては甚だ遺憾ですが。まあしかし、天候と健康には逆らわずといったところ。今日は水戸で一緒だったI氏とのGOLFでなくて本当に助かりました。絶対に途中で止めないでしょうから・・・・。うーん それにしても3ヶ月前に痛めた右手首の痛みが中々治らなくてGOLFの方も終盤になると痛み出してきます。歳かなぁ・・・。次回のGOLFは、北海道のニドムクラッシックです。楽しみです。



2006年5月7日日曜日

i-pod 購入

Dscf0852 欲しかったi-pod nanoを昨日コジマ電気にて購入した。
早速、モーツァルトのピアノ協奏曲23曲を入れた。
通勤時に楽しみたい。
この3日間程、風が強く庭の手入れも大変です。キンモクセイの葉は落ちるは、つる薔薇のつるはあさっての方向へいくやらで・・・・・
また、今日も血だらけですが、この暖かさで薔薇の蕾が数え切れないほどになっています。もうすぐです。今年は「羽衣」が3年目で楽しみ。
さてさて、コースを暫く止めて練習に励んでいるゴルフのドライバーですが、またまた開眼の様相です。<こんどこそ~>少し短く握って強く叩けるようになってます。右ひじを少したたんでテークバックし、ダウンスィングはとにかく体の近くを意識し右ひじを下に叩きつけるように落としてゆく感じで・・・・これが以外とよくて200y先のネット中段にガンガンつきささっております。
神様!!閉眼しませんように・・・・



2006年5月3日水曜日

Utage



連休に咲く。真紅のバラ「宴」。ハイブリット・ティー・ローズ。庭を引き締める鮮やかさに感動!!



2006年5月2日火曜日

山田顕義

Img249 にっぽんのナポレオンと言われた男がいる。日露戦争や太平洋戦争の時ではない。幕末から明治にかけ函館戦争・西南戦争などで活躍した「長州人:山田市之充」その人である。かの高杉晋作が後継者と任じたほどの名将である。また、小男であるところが、妙に近親感を覚える。
晩年は、法典整備に尽力し、皇典講究所(現国学院大学)、日本法律学校(現日本大学)の設立にも関わった。
秋山香乃「五稜郭を落とした男」という本がある。「用兵の妙、神の如し」と詠われた山田顕義の若き日々の戦いを、吉田松陰、高杉晋作や久坂玄瑞など、維新回転の原動力となった多彩な登場人物とともに描いた名作である。長州人には、とにかくたまらない作品です。司馬遼太郎先生は、なんだかんだ言っても「長州嫌いの薩摩好き」ですから、長州人の描き方がいまひとつだが(乃木大将は最大の犠牲者)、秋山さんは実に最高です。幕末物好きは是非読んでもらいたいです。



何度もアマデウス

Img52今年は、モーツァルト生誕250年である。1984年、今から22年前「アマデウス」という映画が あった。モーツァルトを非常に下品な人物として描いていたのを覚えている。そして、凡庸なる宮廷作曲家アントニオ・サリエリが、凡庸なる自分を生かした神に復讐するため、精神的に追い込み死に至らしめるという内容である。


モーツァルトの音楽の中で好きな曲はいろいろあるが、その中でも好きな「フルートとハープシコードのための協奏曲 ハ長調K299より 第二楽章 Andantino」を紹介しよう。(ピアノ協奏曲第23番 第二楽章が一番好きなのですが・・)


1778年にパリのドゥ・ギーヌ公爵親子とアドリアン・ルイ・ドゥ・ボニエール公爵のために作曲され、モーツァルトとしては最もフランス風の作品。ボニエール公爵がフルートの名手であり、その娘が結婚する際に依頼されたといわれている。モーツァルト特有の天真爛漫で自由に流れる旋律、様々な音色が作品全体に満ち溢れているのでお楽しみください。


 映画では、妻コンスタンツェがモーツァルトに無断で楽譜をサリエリに審査してもらいに来た時、「これはオリジナルです」と言い、そしてその言葉を聞いて楽譜を見たサリエリの驚きは、そのままモーツァルトの音楽を聴くすべての人々の驚きにつながるという場面がある。そのオリジナルは一ヶ所の訂正もなく書かれているのだ。誰しもモーツァルトの曲を聴くと、不思議と神がモーツァルトの手を借りて曲を一筆書きしたかのような印象を受ける。映画のこの場面はそのことを表現しているのである。その時に一瞬使われた曲の一つです。13小節めからのフルートが始まると心が洗われます。




さて、このアマデウスにはその他にも多くの曲が登場する。映画の冒頭は、「交響曲第25番・第1楽章」で始まる。モーツァルト登場のシーンでは、「セレナーデ第10番 グランパルティータのアダージョ」。結婚式の場面では、大ミサ曲「キリエ」。もちろん、フィガロの結婚、ドン・ジョバンニ、魔笛といった三大オペラやレイクエムも出てくる。そして、ラストは、ピアノ協奏曲第20番第2楽章で終わる。十分に音楽も堪能できる映画で、古いテープで録画しており今までに年に2回くらいは思い出して見ている。


さて、ここからは薀蓄の世界。モーツァルトが登場して指揮をするグランパルティータの演奏は、実は3番目のアダージョと最後7番目のアレグロの合体である。この映画は前述のようにモーツァルトの曲をふんだんに使っているのだが、1曲だけ違う作曲家の曲がバックに流れている。前半でサリエリが、音楽の道を歩ませてくれたら、神に賛歌を捧げると祈るシーンでは、ペルゴレージの「スタバト・マーテル」の終曲”肉体は死んで朽ち果てるとも”が使われているのだ。こうして結局何度も見てしまう。




それでは、フルートとハープシコードのための協奏曲 ハ長調K299より  Andantinono2 (クリック)をお聴きください


2006年4月30日日曜日

バークチップ

コーラスバカの奥さんは、京都へ歌いに出かけました。こんなことならGOLFバカは、昨年同様、ジュンクラッシックへ出かければ好かった。ガクッ!!ということで今日は、朝から和室前の庭の改造に着手します。芝生と雑草とグレコマでかなり荒れてきたので、芝生を抜き取り、バークチップ(下の写真)を撒くことにしました。枕木のステップを囲むように。昼から雨なので急がねば・・・。まあ2日はかかるかな。落ち着いた雰囲気が出せれば最高です。完成したら、画像Upします。Img10633685453



2006年4月24日月曜日

血だらけ

今日は、つるバラの枝の整理をした。もう血だらけである。しかし毎年ながら、この時期の植物の伸びはすごい。1日であっという間の様変わりである。そろそろ害虫たちもお出ましである。今年は、自宅にいるので目いっぱい退治したい。2006Rose Gallery立ち上げまであとわずか。



さて、最近のGOLFであるが、ドライバーが絶不調に陥っている。そこで思い切ってスィングの変更に取り組んでいる。開眼・閉眼の繰り返しであるが、ゴルフバカも当分やめられそうにない今日この頃である。スィング改造に成功したらまた報告したい。それまでは、スコア自慢はお休みである。



2006年4月15日土曜日

高杉晋作 命日

本日は、高杉晋作の命日です。Photo 今の日本があるのは、晋作のおかげです。



感謝感謝!!



にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ