2014年8月30日土曜日

本能寺六夜物語

Photo_2




岡田秀文著「本能寺六夜物語」を読む。



[E:book]




織田信長が、天下統一を目前にして斃れた「本能寺の変」。
後世伝えられた明智光秀の謀反には、決して公にできないある事情が隠されていた。
それを知る織田家家臣、侍女、町民達など、本能寺の変の騒動を身近に体験した者たち六人が各々に見聞きしたことを語る。してその真相とは。・・・・





ネタバレになりますので詳しく書けません。




こういう真相も面白いかもしれない。最後の天海がでてきたのは余計であった気もする。




2014年8月28日木曜日

城を噛ませた男

Photo




 伊東潤著「城を噛ませた男」を読む。短編集である。



[E:book]




「全方向土下座外交」で生き延びた弱小勢力もついに運の尽きが。起死回生はあるのか(見えすぎた物見)。



***


落城必至。強大な水軍に狙われた城に籠もる鯨取りの親方が仕掛けた血煙巻き上がる大反撃とは(鯨のくる城)。


***


まずは奴に城を取らせる。そして俺は国を取る。奇謀の士が仕組んだ驚愕の策とは(城を噛ませた男)。


***


のるか、そるか。極限状態で「それぞれの戦い」に挑む人間の姿を熱く描いた渾身作。






いずれも切れ味鋭く、優れた短篇のお手本ともいうべき出来ばえではないだろうか。面白かった。



2014年8月23日土曜日

すーさんの還暦祝い

Photo






昨年12月以来の「ばしじゅん会」。今日は、すーさん先輩の還暦・退職祝いが浦安「健鮨」にて行われました。大先輩で悠々自適のTさん、Oさん、私を含めた後輩4名の計7名での開催です。昔話に花が咲き、楽しいひと時でした。


二次会は案の定「ばしじゅん」さんのカラオケタイム。久しぶりに夜遅くまで飲んでしまいました。


2014年8月14日木曜日

秋葉山本宮秋葉神社 上社

朝、3時半起床。4時出発。箱根の右ルートが事故で通行止め。そのため予定より30分時間ロスしたが、8時に「秋葉山本宮秋葉神社上社」到着。静岡神社巡りの始まり。






標高866m 秋葉山山頂付近に上社はある。どうやら今朝の参拝一番乗りのようだ。





ここから階段を登っていくが、朝の空気が清々しい。そして緑が鮮やか。右手斜面の杉木立も来るものを圧倒する。



現在の祭神は火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)。

火の幸を恵み、悪火を鎮め、火を司り給ふ神様です。

江戸時代以前は、三尺坊大権現(さんしゃくぼうだいごんげん)を祀(まつ)る秋葉社(あきはしゃ)と、観世音菩薩を本尊とする秋葉寺(あきはでら、しゅうようじ)とが同じ境内にある神仏混淆(しんふつこんこう)で、人々はこれらを事実上ひとつの神として秋葉大権現(あきはだいごんげん)や秋葉山(あきはさん)などと呼んだ。





階段を登りきると、荘厳な<西の閽(かどもり)>の神門が迎えてくれる。








神門入口の表・裏には見事な彫刻。表側は、玄武・白虎、裏側に青龍・朱雀。








本殿には、あと2段上に。黄金色の明神鳥居が朝日を浴びて眩い。



 


拝殿は、唐破風の向拝を持つ総檜の入母屋造。注連縄の重厚。




本殿は流造。拝殿を幣殿で繋ぐ権現造りのようだ。

 




神紋は「七葉紅葉」紋という。




霞んでいて分かりにくいですが、鳥居越しに遠州灘を一望できます。




 

 



秋葉山本宮秋葉神社 下社

上社から下社まで、車だと一度、秋葉山西側を下り再度東側を登るため30km以上離れています。





下社は、鬱蒼とした森の中にあるようです。









階段を登ると、杉の高木に囲まれた社殿が姿をあらわします。

本殿は撮影ができませんでした。






社殿の右手に「六所神社」があります。

上社と違い下社は、まさに森の鎮守といった趣でした。





                     番傘が素敵なので撮影しました。



小国神社

遠江国一の宮「小国神社」を参拝です。式内社にして国弊小社である。




 



本宮山の南側の山麓に鎮座する。「小国」という社名は、出雲の「大国」に対する遠江の美称であるとしている。

創建時期は不明だが、社伝によれば、欽明天皇16年(555年?)2月18日、現在地より6kmほど離れた本宮山に神霊が示現したので、勅命によりそこに社殿が造営されたのに始まる。




 


両脇に立つ杉の巨木を抜けて参道を進むと右手に神秘的な池「事待池」がある。



 

 


ご祭神は、大己貴命。本宮山山頂には、現在、境外摂社・奥磐戸神社(奥宮)があり、
大己貴命荒魂を祀っているとのこと。




二の鳥居を抜けると桧皮葺入母屋造の拝殿が見えてくる。



 


本殿は、遠くからの撮影しかできないが、大社造りとのこと。



 



 

 


神紋は「右三つ巴」紋です。

 



事任八幡宮

もう一つの遠江国一の宮「事任八幡宮」にも参拝しました。






ご祭神は、己等乃麻知媛命 (ことのまちひめのみこと)。天児屋根命の母神と言われています。
東海道沿いにあって、難所であった小夜の中山の西側の麓にあたることや、「ことのまま」の名が「願い事が意のままに叶う」の意味を持つことから、多くの人が旅の安全や願い事成就を祈るため立ち寄り、また江戸幕府も朱印高百石余りを献上するなど崇敬を集めた。また古くから多くの書物がこの社のことを記しており、平安時代には清少納言の「枕草子」や多くの和歌、鎌倉時代には吾妻鏡、江戸時代には十返舎一九の「東海道中膝栗毛」などに「願い事が叶う神社」として登場している。









こちらには、2本の素晴らしいご神木がありました。「大楠」と「大杉」です。




神紋は八幡宮ですので「三つ巴」紋ですが。三河国一の宮「砥鹿神社」の神紋「亀甲に亀卜」の紋もありました。また、調べてみます。






本殿は、流造です。徳川家が寄進した中門が左手に見えます。

 

 

 



静岡浅間神社

以前、静岡に4年住んでいました。勿論、参拝したこともありますが、全く覚えていません。ということで、再び参拝しに来ました。







浅間神社・神部神社・大歳御祖神社この三社を総称して「静岡浅間神社」といいます。


浅間神社・神部神社は、拝殿を同じくしており、大歳御祖神社は、その左手奥に位置しています。




総門を抜けると、そこにはまず、朱の絢爛豪華な楼門があります。




その先に舞殿。こちらでお祈りをします。


舞殿の向こうに強大な重層楼閣造の大拝殿があります。








その美しさに暫し見とれてしまいます。




神紋 左手が、浅間神社 ご祭神「木之花開耶姫命」の<棕櫚葉>紋。 右手が、神部神社 ご祭神「大己貴命」の<輪宝>紋です。




本殿は、残念ながら非常に見にくかったですが、大拝殿の後方、階段の上には、浅間・神部の二棟を連結させた珍しい比翼三間社流造だそうです。

 


この後、「大歳御祖神社」へ。




境内南側から「大歳御祖神社」への鳥居があります。




ご祭神 大歳御祖命は倉稲魂神・大年神の母神、別名神大市比売命と言われています。





こちらの神紋は「立葵」紋です。




三間社流造の本殿は少し上の段にあり、こちらもうまく撮影が出来なかったです。

 


この他境内には幾つかの神社・末社がありましたが中でも「八千戈神社」には釘付け。



 



入母屋造銅瓦葺で、朱塗極彩色。その美しさに感動。妻飾り、兎毛通し「鳳凰」お見事!!







八千戈命(神部神社大己貴命の荒御魂神)をお祀りしています。もとは摩利支天社と称し、徳川家康公の念持仏たる摩利支天を祀っていたそうです。


 

 



ちなみに、こちらの神紋は「軍配」でした。



草薙神社

「草薙神社」参拝です。





ご祭神は、いわずとしれた「日本武尊命」。











石段を上がると左手にご神木、右手の随神門があります。


















拝殿の中に、「草を薙ぐ日本武尊命」の扁額がありました。




神紋は「五三の桐」のようです。




本殿は、流造。







少し鄙びた雰囲気の境内でした。寂しい限りです。