今日は、邪馬台国「甘木・朝倉」説、神功皇后の伝承 、白村江の戦いへの西下の際の仮宮の地など古代史には欠かせない場所 福岡県朝倉市を訪ねた。
目指すは、2つの式内社論社であり名神大社「美奈宜神社」である。
��名神大社・・・勅使が参向して祈願する神社で全国で204社 九州には12社。
林田 「美奈宜神社」から・・・
神功皇后の熊襲平定を、創建の由緒とします。 皇后は、河貝子(蜷)を集めて城とし、熊襲を欺いて、滅ぼしました。
よって、この地は蜷城(みなぎ)と呼ばれています。これは、「墨俣一夜城」であり、敵から水攻めにあいますから、「高松城の戦い」でもあります。おもしろい。
二の鳥居の奥に朱の神門があり、拝殿へ。
ご祭神は、神功皇后が新羅討伐で航海中に戦勝を祈願され、後に祀られたとされる素戔嗚尊、大己貴命、事代主命の3神です。
本殿は、流造です。
神紋は「九枚笹」。「九枚笹」といえば、思い浮かぶのは<竹中半兵衛>ですが、こちらは地元 秋月氏の家紋ですね。
境内奥手には、筑前式内社全てをお祀りしていました。
今日は「麻氐良布神社」「大己貴神社」「織幡神社」と参拝する予定なので、筑前式内社はこれで糸島の「志登神社」を残すのみとなります。
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