式内社「麻氐良布神社」下宮 参拝。(山頂へは時間の関係でいけませんでした)
日本書紀、斎明天皇の条に、以下の記述があります。
「天皇が朝倉の宮に移られた時、朝倉の社の木を切ってこの宮を建てた。
そのため雷神が怒って御殿を壊した。
宮殿内に鬼火があらわれ、多くの者が病で死んだ。
天皇が崩御された時、朝倉山の上に鬼があらわれ、
大笠を着て喪の儀式を覗いていた」と。
この、朝倉山が麻氐良布山であり、朝倉の社が麻氐良布神社であるという。
麻氐良布の神は、もとは雷神であり、鬼だったようです。
戦乱時代には、秋月種実(あきづき たねざね)が
大友氏に備えて築いたという「麻底良城(左右良城)」があ ったそうです。また、天正15年(1587年)には小早川隆景の持城となり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いを経て黒田長政が筑前国に入国すると筑前6支城の1つに数えられたそうです。
現在のご祭神は、伊弉諾尊。
今回は、下宮のみ参拝させていただきました。
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